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五輪優品

小型木製納骨五輪塔

会津地方に今でも残る大塚山古墳などの古代豪族のお墓や、中世の貴族、僧侶のお墓などは別にして、わたくしたちの祖先はいつごろからお墓を建てられるようになったのでしょうか。
多くの村々の共同墓地や、村内にあるお寺の墓地をつぶさに見てみると、江戸時代前期のものを見ることはまれなことに気づきます。地方にもよりますが、名主や庄屋のような有力者のものを除いて、現在目にできるような、土葬地の上に戒名を刻んだ石塔を建てる例が増えるのは江戸時代中期の終わりごろ、つまり貞享・元禄年間(一六八八~一七〇三)といった、今から三百年ぐらい前からになってくるようです。
八葉寺の五輪塔は、昭和四十六年から詳しい学術調査がおこなわれ、昭和五十六年には重要有形民俗文化財の指定を国から受けました。そのときの調査によれば、いまほど申し上げました貞享・元禄のころよりおよそ百年ほど前、まだ豊臣家の天下だったころの文禄四年(一五九五)の奉納例が最古として確認されました。
世の中がすこしずつ豊かになってはきたものの、まだ有力者のように石塔を建てるにはいたらない多くの人々に、五輪塔型や宝篋印塔型を木に刻み、遺骨の一部や、爪、髪、歯などを納め、簡便なかたちではありながら、小型のお墓を建立し、空也上人ゆかりの祖霊の集まる冬木沢にお納めしようという、ひとつの提案があったのではないかと考えております。

五輪塔の意味

五輪図奉納例の九割九分以上を占める五輪塔には、かたちそのものに深い意味があります。後世、江戸時代中期ごろから多くなる竿石の建った一般のお墓は、つまりは位牌を模したものなのですが、五輪塔にはインド古代の五大思想による宇宙のシンボルという意味と、十全な成仏を願う意味が、同時にあらわされていると考えられています。
 五大とは、わたくしたちを含む宇宙全体を構成する五つの要素のことで、地ち・水すい・火か・風ふう・空くうと呼びならわされている五つの元素のことです。この五大にはそれぞれシンボルとして色とかたちと梵字が定められていて、これを下から順にかさねると、宇宙を構成するすべての要素が揃って一体になっているということで、宇宙全体をあらわすシンボルとなります。宇宙全体であるということは、それがそのまま仏さまのシンボルとなります。やや難解な論理ですが、仏教では、仏さまはこの世の中に、いつでも、どこにでも遍満していらっしゃると考えています。だからこそ宇宙全体は仏さま、仏さまは宇宙全体と考えて、宇宙全体をあらわす五輪塔は仏さまに等しいとみなしてきたのです。左図のなかで、五輪塔と座禅を組んだ仏さまが重なっているのは、そのことを端的にあらわしています。ふつう仏さまは仏像というかたちで表現されますが、それを象徴的にシンボルであらわしたのが五輪塔だといえます。このように、五輪塔はお亡くなりになった大事な方が仏さまと一体となった、すなわちお亡くなりになったあと成仏して仏さまになったということのシンボルとして建立されたのです。

自作してみよう

キット大事な方のご冥福のために五輪塔を自作できるキットを用意しています。大まかなかたちを作り、細部の仕上げをしていただくだけにしてあります。仕上げが終わったら彩色します。地輪の中にご遺骨の一部、または遺髪や遺爪を納め、おうちの仏壇にお祀りして、新盆の年の冬木沢詣りまで待ちます。
8月になるのを待って、冬木沢詣りにおいでになり、その旨をお知らせくだされば、梵字を書き入れ、御戒名や御法名も書き、施主名等、必要なことを書き入れた後、当寺の過去帳にも記載して、ねんごろにご供養申し上げます。
お詣りの期間が終了したのちは当寺であらかじめご用意した五輪の塔と同様、阿弥陀堂に十数年安置のあと、奥之院に永代に納まります。当寺であらかじめご用意した五輪の塔は白木のものですので、ご自作の五輪塔を見つけていただくのは容易なことと思います。

 

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