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下雨屋村 薬師堂

薬師堂(境内四間四方。年貢地)村の戊亥の方二町にあり。三間四面。丑寅に向ふ。縁起を按するに何人の草創にか詳ならす(寛文中撰へる風土記には空海建とあり)。もと今の所より下なる岩窟の中に堂を搆て安置せり。寛永中何者か此像を盗取り伊予国まて逃去しに、祟ありけれは同九年是を還せり。因て民の渇仰もまた深し。享保十四年今の地に遷す。堂後の巨巌に洞あり。空海霽を祈て此に護摩を修せしと云。此地は鶴沼川の流に臨て高く峙ち、松樹其上に蟠屈し、西は岩崎(大沼郡橋爪組本郷村)の巉巌に対し西北に平野開け、長流練を曵き白沙清潔にして勝景の地なり。
目洗水 堂後に僅の巌穴ありて水たまれり。常に増減なし。目を洗へは明ならしむと云。是も空海が穿ちし所なりとそ。

別当薬王寺(境内東西十四間、南北十間。年貢地)村中にあり。真言宗磐屋山と号す。開基を詳にせす。天正己丑の兵燹に罹り寺門悉焼亡せり。後何の頃にか宥存と云僧再興して、府下大和町金剛寺に隷す。本尊観音客殿に安す。

 

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